「えっ?」
私は目を疑った。
"オオカミ怪人"がいる。
オオカミの頭部。目の周りに走る、稲妻上の黒い模様。濃青色のスーツをはちきれんばかりに引き伸ばす風船のような肥満体。肉体すら変容させてしまう、規格外の催眠能力を持ったS級危険指定怪人――"ヴォルフガング"。
そいつがいま、すぐそこの喫茶店のテラス席でくつろぎながら茶を嗜んでいる。
田舎から上京し、ヒーロー業を始めて3年。いまいちパッとしないままここまで来てしまったが――こいつを倒してしまえば私は一躍"伝説の怪人を捕縛した有望若手"だ。報奨金も桁違い。オオカミ怪人のことはほとんど都市伝説レベルでしか聞いたことがなかったが、噂では催眠能力以外は人並み以下という話だ。見ればわかる、この肥満体なら胴体に一発くれてやればダウンするだろう。私は気づかれないようにそっとベルトに手を伸ばし――。
「まあ、落ち着けよ」
そうだ、落ち着かなければ。慌ててもいいことはない。私は手から力を抜く。
え?
「どうしてもたまに出るんだよな、普段のカモフラージュが効かないやつが」
オオカミ怪人がその巨体をのっそりと動かし、こちらを見る。しまった。気づかれていたのか。
「まあ、落ち着けって。ほら、俺は何もする気はない。お前さんがその気になりゃ一発でのされるさ。だから少し話をしようぜ」
その通りだ。オオカミ怪人はなんの武器も持っていない。慌てて攻撃する必要はないだろう。
「な? 俺、そんなに悪いやつには見えないだろ?」
オオカミ怪人がじっとこちらの目を見ながら話しかけてくる。確かに、こうしてみるとなんだかそれほど凶暴そうにも見えない。動物の頭が乗ってる丸々とした身体はマスコットキャラクターのようだし、はじめは鋭いと思った眼光もよく見ると穏やかな光が宿っている。目の周りを狸のように覆っている模様もコミカルで、愛、らしい……
「うっ、ぐ?」
なんだ? 私は何を考えている。頭に靄がかかって思考が進まない。
「ああ、やっぱり効きが悪いほうだなあお前は。まあまあ、安心しろって」
そうだ。私は心を落ち着かせる。安心。なにも怖くない。この怪人を倒せば、一気に昇格して、金ももらえて、生活もラクに。そうだ、倒さないと。私はベルトに手をかけ、格納してある武器を取り出そうとする。力が入らない。まるで寝起きのまどろみのときのように手がふわふわしている。これが催眠能力。だいじょうぶ、私は効きが悪いって。安心。落ち着く。オオカミ怪人の言う通りに。武器を展開するスイッチに指が届く。
その指を、肉厚な手のひらが包み込んだ。視界が明滅して歪む。オオカミ怪人の鼻面と眼光がすぐ目の前に――
気がつくと、私はどこか知らない路地裏にいた。目の前には太ったオオカミの怪人――ヴォルフガングさんがいる。でも私はこいつを悪い怪人じゃないって知ってる。どこで知ったかはぼんやりとしてて思い出せないけど――でも結構前からの付き合いだ。だからたぶん、こっちに上京してきたときに知り合って――
「進路相談に乗ってやったんだよ」
ヴォルフガングさんの柔らかい声色が響く。ああ、そうだ。なんの仕事に就くか決めないまま上京してきたから、スーツ適性を調べて適合したらヒーロー業に就くのがいいんじゃないかって、確かそんなことを言われたんだった。ええと、それで今は――
「ヒーロー業をこのまま続けてもいいかどうか不安になったから、改めて相談に来たんだろ?」
ああ、そうだ。思ったより実入りも少なくて、でもけっこう危険な目には遭わされる。成功したら知名度も手に入るし、そこで転職なりしてもいいけど、そこまで辿り着けるかって最近悩んでたんだった。それで今日、オオカミ怪人を、ヴォルフガングさんを見つけて、これで大丈夫だ、って、あれ? なにか、さっき、あったような
「まあまあ、落ち着けって。急ぐな急ぐな」
私は落ち着く。急がない。じっと話を聞く。
「こういうときは、根本のほうから悩みを掘り出したほうがいい。そもそも上京を決めたきっかけは何だったんだ?」
なんだっただろうか。漠然と地元には閉塞感と不安感は持ってたけど、別に地元で就職する気がない、ってことはなかったような気がする。なんで地元を離れようって決めたんだっけ? 私は助言を求めるようにヴォルフガングさんの顔をじっと見る。心配そうに私を見つめている、ヴォルフガングさんの優しい目。
「決定的に『厭だ』って思った出来事とか、なかったか? なにかすっげー虫唾の走るものを見たとか」
ヴォルフガングさんの眼がじっとこちらを見据える。その光を見てると、頭が自然に過去の記憶をほじくり返してしまう。厭だったこと。厭だったこと。記憶が車に乗ってるときの街灯みたいに頭の中でびゅんびゅん走る。
「ば…バニーガール」
「バニーガール?」ヴォルフガングさんは一瞬きょとんとした。あれ、この人、こんな顔もするんだ。意外にかわいいとこがあるんだな。
「バニーガールってアレか。ウサギの耳と網タイツをつけて店員をしたり踊ったりするやつ」ちょっと不安そうに尋ね返すヴォルフガングさん。かわいい。
「はい…それ…です。学校の…出し物か、なにかで。友達がバニーガールの服装をすることに…なって…。別に…雰囲気が悪かった…とか…強制とかじゃ…なかった…です。友達も、ノリノリで。でも、友達の、バニーガール姿、見て、思ったん…です。ペラペラのナイロンとか、なにかの、安っぽい衣装で、はしゃいでるの、見て。もしかしたら、ここにいたら、こんな、ペラペラのなにかしか、回ってこないんじゃ、ないかって…こわくなって。それを着て、よろこぶの、なんか、洗脳されてるとか、そんな風に思えてきて…だから、かも、知れないです」
洗脳。なにかが頭の中でチクッとしたが、さっきヴォルフガングさんに落ち着けって言われたのですぐに落ち着く。
「へええ。世の中っていろんなきっかけがあるんだな。ああ、馬鹿にしてるわけじゃない。俺も俺でここしか知らない世間知らずなんだ」
「それで、いい、と思ったのかも。ヒーロースーツ、が。偽物の衣装じゃなくて、本物の、都会にしかない、最先端の技術。を、身につけられる、って、思ったのかも」
「なるほどねえ。そのときお前さんはバニーガール姿になったのか?」
「な…ならな、かった。なるわけ、ない、です」
「そうだよな。そんとき"偽物"だって思ったんだもんな。着るんなら本物のバニーガールのほうがいいに決まってるよな」
「え、……」
頭が回らなくなる。いまの、どういうことだっけ。ええっと。
ヴォルフガングさんの目が妖しく光る。
「おいおい、つまりこういうことだったんだろ? お前は地元で友達のバニーガール衣装を見て、"偽物"じゃあなくて"本物"を着たくなった。だからこっちに来た」
そうだ。そういうことだ。頭の中が整理される。
「んで、ヒーロー業に就いたはいいけど、見栄か世間体かでバニーガールの姿は選べなかったんだ……ごく普通の、世間一般がヒーローだって思うような、お堅いヒーロースーツを選んじまった。それでずっと、お前さんはしっくりこなかった。一掴みいくらの量産型ヒーローが厭だったって、今日顔にずっと書いてあったぜ」
…そのとおりだ。有象無象に溢れてる、数年後にはいなくなってそうな、よくあるヒーロースーツの群れ。その中に自分が埋もれてるのが、厭で厭で仕方なかった。だから、今日、ヴォルフガングさんを見つけて、それで……?
「だったらよ、今からでも変わっちまえばいい。俺の催眠能力ならそれができる」
「装着…解除」
身体に展開し張り付いていたヒーロースーツがたちまち剥がれ、縮小し、ベルトの中に戻る――その実体は、「シンボル」と呼ばれる部分と「セルテクスチャ」と呼ばれる部分からなる、特殊な繊維型の生命体らしい。
ヒーロースーツ適性試験でこの生命体と結合適性があると判明したものは、そのときの検査結果に応じて乾眠状態にある「シンボル」を渡される。この「シンボル」をベルトなどのデバイスにセットし――自分のヒーロースーツの姿を思い浮かべることで「シンボル」は呼応。セルテクスチャを増殖させて全身をそのイメージ通りに覆うのだ。
私はそのとき、三日三晩デザインを考えた。徹夜して考え抜いたあげく――周りから浮かないだろう、ごく普通のヒーロースーツを選んだ。選んでしまった。
「後悔…して…る」
ふいに、口をついて出た。「シンボル」に一度送り込んだイメージは変更できない。新たな書き込み前の「シンボル」を手に入れるには、高額の金を払わねばならなかった。たった一度のチャンスをそんな風に浪費してしまうなんて。自分の愚かさと小心さに涙が出る。
「俺の催眠能力なら、『シンボル』への書き込みをやり直すことができる。さあ…力を抜いてそこに立て。身体の中心に、大きな穴が開いてるのをイメージしろ。そこに俺の出す言葉と念波が入ってくる…なんの抵抗もなく…そして全身に行き渡る…俺の声が…」
ヴォルフガングさんの声がわんわんと響く。やり直したい。こんな自分じゃなくて、バニーガールの、…バニー、ガール? あれ、なんだっけ、バニーガールに、なりたいんだっけ? 私は、俺の声を聞け、ええっと、あれ、俺の言う通りになる、考えが、できない、ヴォルフガングさんの、声が、切る、私の、お前は俺の言いなりだ、考えを、私は、
「そうだなあ、まずは鳴き声を決めないとな。ピョンとウサどっちがいいかな…言ってみろ」
「ピ、ピョン、ピョン!? ウサ、ウッサー! ウサ!? え!? 口が勝手に、ピョン! なに、これ、どういうことウサ!? 私、ピョン、ピョォーン!」
「ああ、そろそろ意識は返してやるよ。他の部分は全部催眠をかけ終わったからな」
ヴォルフガングさん……いや、"オオカミ怪人"が酷薄な笑みを浮かべて宣告し、途端に私の意識は明瞭になって、すべてを把握した。まんまと罠にハマった私は心の奥まで催眠に侵され、いま、こいつの玩具にされようとしているのだ。愛らしい? くそ、私はなにを考えてたんだ! 怒りと屈辱に全身が熱くなるが、身体は棒立ちのまま1mmも動かせない。
「くそ、どういうことだピョン! 私をどうするつもりだウサ!」
「どうって、悩んでるみたいだから相談に乗ってやったんじゃねーか。立派なバニーガールヒーローにしてやるよ。目立つこと間違いなしだぜ」
「こんなことをして、ただでピョン! 済むと、ウサ! 思ってピョン!?」
「どっちでもいいな。まあ文が聞き取りやすいように適度に言葉に交える感じにしてくれ」
「ふざけるなっピョン!!」
「次はどこにしようか…まあ、まずは耳か。さあ、俺の目を見てじっと声を聞くんだ。お前の耳はウサギの耳…お前の耳はウサギの耳…ながーい耳がぐんぐん伸びていく…」
「がっ、ぐっ!?」
オオカミ怪人から目を逸らせない。心では抵抗しようと思っていても、するすると声が耳の中に入って中で反響し続ける…お前の耳はウサギの耳…お前の耳はウサギの耳…私の耳はウサギの耳…私の耳はウサギの耳…長い…長い…伸びる…耳にもぞもぞとした感覚が走り、ほんとうに――耳が伸びていく! 耳たぶの感覚の位置がどんどん上に上がっていく!
「なっ、こんなっ、あるわけないピョン! 催眠で身体まで変化するなんて、ありえないウサ!」かろうじてわずかに動かせる首から上を振り回して私は熱弁する――が、それに連動して空を切る耳の感触が私の言葉を否定する。ぴらぴらと私の頭上ではためいている耳は、紛れもなく私のものだ。
「ところがあるんだよなあ。能力に規格がなくなる。それが怪人になるってことだ」
そんな――そんなことができるんだったら、誰も太刀打ちできないじゃないか。
「だからよ、俺はもうヒーローと怪人の小競り合いなんてどうでもいいんだよ。悪だか正義だかもどうでもいい。普通に街で暮らしてるだけだ。たまたま見つけてくるお前みたいなやつを除いてな」
「なっ、なんで、私は――」
「たまーに犠牲者を出しとかないと、催眠の効きが悪くなるんだよ」
そんな。
「さて、続けるか。次はどこに……まあ顔でいいか。よーく聞けよ、お前の顔はウサギの顔、お前の顔はウサギの顔。鼻先がだんだんせり上がって伸びていく…白い毛に覆われて……先っぽでウサギの鼻がヒクヒクしてる……」
「あっ…ああ……」
「お前の全身を毛が覆う…お前は毛むくじゃらのでっかいウサギ……白いふわふわの毛が身体を包む…」
「……」
「お前のスーツはバニーガール……白い毛に映える真っ黒なレザーの衣装……かわいくていやらしい自分を見せつけたくてたまらない……」
………
……
…
目が覚めると、私は自室に帰っていた。
身体を確かめる。人間のままだ。長く伸びた耳も短い尻尾もない。安堵する。当たり前だ……あんなことは夢に決まっている。やっぱりオオカミ怪人なんて都市伝説だったんだ。ちょっとキャリアについて悩んでいたから、あんな夢を見てしまった。
『出動命令! 第13地区――通りに怪人が出現!』
私はベルトを掴んで現場に向かう。そうだ、私はヒーロー。怪人を倒し、市民を守るためにいる。それ以外のことは後回しでいい。ヒーローベルトを腰に装着。休眠しているスーツを呼び起こすために高らかに宣言する。「変身!!!」
「ピョ―――ン!!! うさうさヒーロー、バニーガール!! 参上ウサ!!」
は?
私は夢で見たのと同じ、バニーガール姿の巨大ウサギに変身していた。
「怪人め! このおっぱいを見るがいいウサ!」私はゆさゆさと自分の巨大な胸を揺らしながら怪人に宣言する。ちょっと待って。なんだこれは。私は全く知らないはずの動きを、何度も練習した振り付けのようにスムーズに済ませる。
「ええーいっ!! うさうさハイジャンプ!! どうだっ! ついてこれまいウサ!」
私はその場でコミカルに何度もハイジャンプを繰り返す。優に5mは超える高さのジャンプを繰り返しながらピョンピョンとリズムを口ずさんでいる。
「くらえ! ラビットヒップ!」
そしてぷりぷりと腰を振って尻尾を見せつけたかと思うと、高所からヒップドロップをかまして怪人をダウンさせた。お仕置きと言わんばかりに自分の尻をこすりつけて恍惚とする。
「ヒーロー、バニーガールがまた怪人を打倒しました! そのふざけた闘いぶりには一部から非難の声も上がっていますが、ファンの……」
ちょっと待って!! 私はこんなのじゃない!! 私は……
私のまえのヒーローネーム、なんだっけ。
オオカミ怪人とヘビ怪人が身を隠す、どこかのアジト。
「ガンちゃん、急にバニーガールって言われてちょっとテンパったでしょ」
「テンパってない」
「テンパってるよ。すごく無理してキャラメイクした感がすごい」
「お前に『バニーガールがきっかけであなたを襲ったんです』って言われた気持ちがわかるか」
「やっぱテンパったんだ……」
「テンパってない」
おしまい