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雪降らないかな
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[デラックス特典]すこし小難しい話

 これはコンテンツと言うか、共感覚についての脳内会話ログみたいなものだけど、まあデラックスコースをわざわざ選んでくれた人はマニアックな人だろうから楽しんでくれればいいと思う。


 先日、ソニックフォースをプレイした。

 内容としては緩めのソニック入門編みたいなゲームで、初めてソニックシリーズをプレイする身としては結構ありがたく、楽しんでプレイできた。

 で、そのとき、共感覚の機能に少し変化が起きた(あるいは、たまたま変化が起きるタイミングだった。経験上、脳みそというのはアップデートがほぼ済んだ段階でようやく意識に『変化しつつある』という情報が送られてくることがよくある)。

 私のミラータッチ共感覚の話をわざわざ追ってくれる人は、アクションゲームしてるときは現在操作中のキャラに身体感覚を投影しつつプレイしてることは承知だろう。え? なにその話? って人はこれ→

(frame embed)


を読んでくれればだいたい概要はわかる。

 んで、そういうわけだから、当然ソニックフォースをプレイしてるときはソニック(またはアバター…ソニックフォース用のオリジナルキャラクター)に身体感覚を共有するわけだ。が、ソニックは速い。速いので、ソニックを注視していると目が追いつかない。つまり、『目で追いつけないキャラ』に対して『ミラータッチ共感覚が動いてる』ときはどうしたらいいか? という問題に脳みそがぶち当たったことになる。

 脳みその答えは『マイナス共感覚をつくる』だった。要するに、共感覚が機能してるそばで『このキャラクターからは絶対に身体感覚を取得しない/ここには身体感覚がないものとする』という打ち消し命令を行使したわけだ。

 するとどうなるかと言うと、脳はソニックとの同化を感じながら、ソニックがいる場所には何も情報がない、という状態を得ることになる。これは実際、ソニック的なハイスピードゲームを遊ぶ際に正しい反応だろう。この手のゲームに必要なのは、常にマップ全体と少し先の進路を把握しておく目線だ。共感覚オンリーで機能してる間、脳みそはその状態をうまく作り出せなかったし、だからリズムゲーを私は長い間楽しめなかったが、色々あって『非共感覚』的な領域が確保されるようになってきて、ようやく私の脳みそはリズムゲー用の感覚を生成できるようになってきた。


 さて、本題はここからだ。

 そういうわけで、私の脳みそには『共感覚』モードの自我と、『共感覚ミュート』状態――マイナス共感覚が発生し、共感覚情報を打ち消している――の自我がいま同居している。これまでのように無理やり共感覚を拒絶したり、抑圧して擬似的な共感覚OFF状態で再現していたのより自然で、よりニュートラルな『人っぽい』自我が生まれた。

 『共感覚ミュート=人っぽい』自我が『共感覚』自我とどう違うか――一番の違いは、物事の理解を身体感覚で解釈できないことだ。

 『共感覚』自我は、たとえばゲーム画面にいきなり敵が現れたとき、次のような処理を辿る。


①:敵の身体感覚を取得する。

②:敵が自操作とは違う動きをすることを観察する。

③:『操作不能』を根拠に、敵身体マップを少しずつ改変、削減する。

④:敵を倒し、消滅や四散を見届けることで身体マップを処分する。


(この過程で消しきれなかった敵の身体マップがだいたいTFシチュの原料になる)

どこかの神経学者が「人はそれそのものではなく、変化によってのみ自己を認識する」と言っていたが、まさしく私は無→①→②→③→④という過程で変化する身体マップを『敵』という概念である、と認識し、判断を下しているわけだ。

 ところが、『人っぽい』自我はこれができない。共感覚をミュートされているのだから当然だ。『人っぽい』自我は、次のようなルートを辿ることになる。


①:敵を視認する。

②:記憶から、過去に遭遇した経験・類似の経験を読み込む。

③:適応できた場合、そのときの行動や判断をそのまま再利用する。

④:視認した情報を抽象化し、情報量を削減する。

⑤:③のプロセスが済んだあとに、思考を再開する。新しい敵だった場合、行動を修正する。


 まあ、普通に人がやってそうな行動だ。私も無意識にはやっている。

 だが、『人っぽい』自我はこれでしか『新しい身体』を認識できないので、このプロセスにより即した道具を作り出す必要がある。



 以上の話が前フリだ。

 これが何を意味するかというと、つまり『共感覚』側と『人っぽい』側はそれぞれ自分の性質にあった独自の道具を持ち(作り)、そして脳内で同居してる以上、お互いに翻訳をする必要が生じた、ということになる。

 これまで共感覚を無視したり抑圧したりすることによってできていた人もどき自我とは、この点が大きく違う。エッセイでやっていたような『共感覚を無理やり人にわからせようとした言葉』や『感情を無理やり共感覚に変換した絵』ではなく、『お互いが無理なく使える共通言語』を協調して開発しだした。文化交流だ。

 ここから、その共通言語の整理をする。まあ世間的にはかなりよく聞く言葉ばかりで、『共感覚』がようやくそれを納得できた、と言うほうが近い。


①コントラスト

 コントラストがあるものは、強く人の目を惹く。

 白と黒。丸いものと尖ったもの。不良と真面目。人間と幽霊。闘争と逃亡。

 なぜ惹くかと言うと、要するにこれは検索経路の分岐点だからだ。

 白と黒は見分けなければならない。光の情報そのものだから。

 丸いものと尖ったものは、『どう触るか』の分岐点だから。

 不良と真面目は、『どう近づいてくるか』の分岐点。

 人間と幽霊は、『見えていいものかどうか』の。

 闘争と逃亡は、『自分がどちらにつけばいいか』の。

 だから、絵や漫画、コンテンツには大なり小なりコントラストが必要だ。まず脳に検索を始めてもらわなければ、どうにもならないのだから。

▲コントラストを強めると、どんどん意味が生まれる。


 ただし、コントラストばかりにしてはいけない。どうでもいい、しなくてもいいところで分岐の判断を強要するのは脳を疲れさせる。定食屋に入ったとき、『座れそうな席』と『座れない席』のコントラストは欲しいものだが、『カウンターの醤油差しの醤油の残量』は入った瞬間には一番どうでもいい情報だ。だから、定食屋に入ったばかりのシーンで醤油が全て黒く塗ってあったりすると、そこでささやかな疲労度を蓄積することになる。

②完全性

 人間の視覚は、完全性のあるものが好きだ。

 真円。垂直・平行な線。五体満足。均一。無矛盾。

 だけど、ほとんどの人間は完全性のあるものだけをずっと見続けるのは好まない。それは何故か? 完全性があるものとは、『変化せず、判断を新しくしなくていい』と同義だからだ。人は『完全なもの』を背景にして『不完全なもの』を見たがる。円や太陽を背景にして、悩める人間を描く。直線のそばで倒れ伏す動物には、なにか意味があるような気がする。単なる球と果物を一緒に並べると、果物の形はより美味しそうに見える。棒人間を描いたとなりにちょっと頭の欠けた棒人間を描くと、どちらかと言えばそれが自分のような気がする。


 要するにこれは――『自分の欲望』を軸にしたコントラスト検出であるとも言える。『完全なものが視界に映ってると情報処理がしやすい』『欠けたものには満ちた状態があって欲しい』『欠けているように見えても価値があって欲しい』という、視覚に対する脳の補正作用だ。この補正があってこそ、人の行動にはバラつきと個性が出るし、より物事を知ろうという行動が生じる。

③シグネチャ

シグネチャ(signature)とは、「署名」とか「サイン」のことだ。これからする話はいわゆる「シンボル(象徴)」と大差ないので、覚えにくければそっちに変換してくれていい。

 よく、漫画術の一つに「そのコマ単体でわかるようにしろ」というものがある。これはつまりこういうことだ。

Aは「ドラゴンが『抱け』と言ってきた」と「人に伝えられるエピソード」の形で認識することができる。一方、Bはこれ単体だと映像として記憶することしかできない。言葉で形容することはできるが、伝わるかどうかは確証がない状態だ。この場合、「どちらかと言えばAのほうがいい」ということになる。

 尤も、よく知っているキャラクターや前後の文脈がある場合は話が別になる。もしこのドラゴンがこれまでに何度も見た○○というキャラで、ようやく打ち解けてきた瞬間ならBは「○○が打ち解けてくれたシーン」と言語化できる。

 漫画に限らず、そのような「こう受け取っていいですよ」という署名(シグネチャ)がある絵は人の気を引きやすい。言わずもがな、最初の検索の手間を省略できるし、言語化することで情報量も圧縮できるからだ。明確でないように見えても、「いくつか候補のあるシグネチャのどれかに引っかかりやすい」という仕込みがある絵は同様に心に残りやすい。判断が少なくて済む上、「自分で判断した」という実効感を得やすいからだ。漫画『トリリオンゲーム』のゲーム開発編で「誰もが同じくらいのタイミングで気づく小技を仕込んでおくと、誰もが『自分で見つけた』と思ってくれる」という話が出てくるが、それにも近い。

④リズム

 人はリズムを好む。先ほどのソニックのときにも言ったように、『リズムを感じる』というのは『自分の身体感覚そのものはモニタリングしなくて済む』というのとかなり近似するからだ。人は自分の身体を感じなくて済む状況を好み、『リズムがある』というサインはそれだけで少しその兆候がある気がしてしまう。

 絵、とくに漫画におけるリズム感は一概には説明しにくい…が、たとえばこんな風に「ありますよ」と言うことができる。

①:顔の上げ下げのリズム

②:少しずつ歪み、下がっていくコマ(雰囲気)のリズム

③:大きくなっていくリズム

④:口の開閉のリズム


 これもまた、『短い範囲でのコントラストを繰り返すといい』と言い換えることができる。変調することで、リズム同士のコントラスト(淡々とした①~②と大きく動き③)を生むこともできる。

 あれば偉いというより、ないよりはあったほうがいい、という話だ。漫画を読むときもその作者のリズムが把握できると読みやすくなったりする。

⑤超越性

 適当につけた言葉なので、同じ言葉があってもだいぶ意味は違う気がする。

 これは要するに私の『人っぽい』自我にとっての共感覚発動のことで、平たく言えば『身につまされる』『自分のように感じる』というやつだ。ある程度成熟した人間の脳みそは、絵やら作品やらを見ると「自分の身体に触れないただの絵」というフィルター処理をかけて認識するが、そう認識してるときにふっと『自分のように感じる』というツボを押されてしまうと、それにいたく感激してしまう。(共感覚の自我のみで、何を見ても常時自分のように感じてる状態のときはほぼなかった概念だ)

 『自分のように感じさせる』方法は色々ある。色々ありすぎるのでここで列挙はしないが、その根本的な原理は『同じ側だと思わせる』ことだ。作中のキャラクターが白と黒に分かれているなら、そのどちらかだと思わせる。意見が対立しているなら、ぴったりくる意見を用意してやる。あるいは、否定しきれない欲求を言わせてやる。絵のデッサンや光のリアリティを高めるのも『同じ世界にいる』と思わせるためだし、絵をあえて歪ませたり、パースを極端に強めたりするのも『頭の中の視覚の印象』に絵の側から歩み寄るためだ。


 まあこんなところだろうか。この話は、私の『人っぽい』自我が『共感覚』自我に対して「普通はすぐ憑依したりできない」ということを説明するためにやってるので、特にまとめとかオチはない。同時に、『共感覚』側も『人っぽい』側にいろいろ教えている(たぶん)。グラデーション――境目がなく混ざってる快感とか、そういうのはたぶん『共感覚』側の得意分野だろう。

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