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雪降らないかな
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[デラックス特典]すこし小難しい話2

 1のほうで、人間は変化そのものを自己だと感じる、的な話をちょろっとした。数学的な比喩を使うなら、自分の感情を微分することで自己を抽出する、ということだ。それに対して『共感覚』側の自我は積分的、面積的だ。

 さらに噛み砕いた例えを挙げよう。たいがいの人間には怒る機能が備わっているし、『怒った状態』のことを記憶している。だけど、『怒った状態』をどのように記憶しているかと言うと、そのときの心拍数や血圧やホルモン濃度を記憶しているわけでもないし、顔色の赤みを絵で再現できるわけでもない。

 人は『どのくらい怒ったか』で自分の怒りを記憶する。「イラッとする」「ムカッとする」「マジギレする」は全て『どのくらい怒ったか』の変化量を説明する言葉だ。人はその変化量を覚え、「イラッとするもの」や「ムカッとする言葉」「ほんとうに許せないこと」と紐付けて記憶する。『人っぽい』自我が重視するのも、まさにその点だ。『平常』と『怒り』のコントラストがどのくらい強いか。平常時に比べて、どのくらい視野が狭まるか。平常時に比べ、どのくらいのリズムで『怒り』の思考が生えてくるか。一体何を『怒りを引き起こしたサイン』だと考えるか。

 一方で、『共感覚』自我は積分したときの面積、シーケンス、グラデーションで物事を捉える。つまり――『怒った状態』を『平常時と怒り時それぞれがある割合で混ざった状態』と認識するのだ。『共感覚』自我にとってそのときどきの変化量は重要ではなく、混ざったときにどこが混ざっているか、どのくらい混ざっているかを重視する。

▲真面目な人が見たらブチギレしそうなイメージ図。


 まだわかりにくい場合は、これを「怒ったときだけ犬になる人」と思ってくれるといいだろう。『人っぽい』自我は「どのくらいの勢いで犬化したか」を重視するが、『共感覚』自我は「いまどんな感じの犬化をしてるか」を重視する、というわけだ。


 まあそんなわけで、ここからは『共感覚』側から提出された共通言語と自己の話になる。


1.頭の同化

 頭(顔)が変化することは、人間一般にとって大きな意味を持つ。そういうのは色々研究してる人がいるし本も出てるだろうから、ここではそれは流すことにする。ここでは『共感覚』自我が頭の変化についてどう思うかを述べる。

 共感覚によって誰かと同じ頭になったとき、たとえばそれは知らない土地の食事に招かれたようなものだ。舌や鼻を共有し、同じ食べ物を食べて感じなければならないことが確定している。それは喜びや期待もあるが、不安も大いにある。無作法をして追い出されるかもしれない、という懸念もある。そして『共感覚』は、もしそのとき食べ物や匂いが美味しすぎて頭を制御できなくなったらどうしよう、とも常に考えている。あるいは追い出されたとき、追い出されたというのに元に戻らなかったらどうしよう? その場合、変化した頭はもはや定義を失い、意味もなく残り続けることになる。

 だけど『共感覚』にとって、頭は最も変化しやすい場所だ。ふとなにかに惹かれるだけでマズルが伸びるし、表情を真似したら顔の形もたちまち移ってしまう。だから『共感覚』は、いつも招かれた食事でうまくできること、無作法をしないことを願っている。これは普段描いてるシチュともだいたい合致している印象だ。


2.手の同化

 手も同様に、『共感覚』にとって変化しやすい場所の一つだ。他者の手は情報量が多い。というか人間の目は、手の動き一つ一つから詳細に意味を読み取るようにできている。だから『共感覚』にとって、手とは独立した生き物で、それは常に自分を変化させようと蠢いているように感じる。直近でそんな話を書いた。

 一方、『共感覚』にとって自分の手はものすごく弱く脆い。それは常に脳の指令と運動神経の制御によって支配され、『共感覚』が意思を挟む間がないからだ。だから『共感覚』は強い手を他者から奪うことを常に目論んでいる。「他者から奪った手であれば自分の自由にしてよい、『共感覚』の身体を触ってよい」という意識がある

 だから『共感覚』にとっての手は言うなれば――盗人の精神を持っている。自分の動きそのものは信頼しており、他者からものを奪うことができ、それによる達成感や全能感を得ることもできる――だが、常に罪悪感や後ろめたさもつきまとう。

 初めてしっかり描いた漫画はまさしく「手によって他者を動物に変化させてしまう少女」の話だった。その少女は他者を支配する喜びを手から受け取るが、同時に常に罪悪感も抱いている。罪悪感を抱けば抱くほど、自分の手は自分と結びつく。そして触れた者は手を失って動物になる。そんな感じの感情が共感覚を自覚してからずっと残っているんだろう。


3.腹の同化

 何回かエッセイで描いたが、腹・胃腸まわりは『共感覚』の管轄とは少し異なる。最近の感覚で言うなら腹回りは『共感覚』が被支配側であるような感じ、というと少し近い気がする。一部であり、感覚も共有してるが、腹回りにおいて『共感覚』の権限はとても小さい。大きくなる腹の表面に強制的に配置され、守らされる。腹が大きいことを喜ばされる。腹に触られると、強制的に腹を守ることを考えさせられる。そんな感じだ。そしてまあ、これは機能として正しいんだろう。消化器は動物の生命維持装置そのものだが、そのくせ装甲とかがついてないのでできるだけ守るように内側から働きかけないといけない。共感覚で感じた場合、その防衛命令がより支配的、洗脳的に感じるのかも知れない(オオカミ怪人を見ながら)。

 そんなわけで、『共感覚』にとって腹の同化は支配圏に入ることそのものであり、防御力を得ることそのものでもある。一方で支配に対する反抗心も片隅にあり、それが腹太鼓や腹にペイントして性質そのものを変えるシチュに現れているのかも知れない。

4.下半身の同化

 一方で、『共感覚』は自分の下半身にあまり関心がない。というか、肉体の下半身をかなり信用していて、共感覚上の下半身――つまり自分の――をあまり信用していないようだ。

 だから『共感覚』は、その信頼している下半身が反旗を翻したとき、命令を効かなくなったときを一番強く意識する。つまりは石像のようにその場に固定されて動かなくなったり――上半身の行動に従わず、勝手に動いたりしたときだ。そうして反乱したときにこそ、『共感覚』は自分の下半身を強く意識して、強く自分だと思う。非日常になったときこそ輝くみたいな感じかも知れない。


5.性器の同化

 性器は『共感覚』にとって、常にマイナス共感覚が働いているようだ。デフォルトで打ち消され、『共感覚』側が性感を感じることはあっても、性器そのものについては感じることはない。だが、経験上『共感覚』が性器を認識するときがいくつかある。

 ひとつは、性器の動きは他の身体の部位の動きと連動しているときだ。

 たとえば『マズルが伸びるのと連動して性器が勃つ』とか、『性器を握ってる手ごと共感覚で感覚をコピーする』とか。

 だから自分で描くときはよく、「プロテクトがかかっている」という描き方をする。謎の魔法で縛りつけられていたり、謎の紋様が描かれてそもそも消失していたり。これらは被虐的な嗜好で描いているというより、まさしく『共感覚』にとって性器はそのようなものだから描いている、という感覚だ。



 まあ、とりあえずはこんなところでいいだろう。これで『共感覚』側と『人っぽい』側はひとまず、自分の感情をお互いに翻訳して意思疎通ができるようになりつつある。できれば仲良くやってほしいものだ。

[デラックス特典]すこし小難しい話2

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