SamSuka
雪降らないかな
雪降らないかな

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雑記(4/14追記)

 言語化の目的:共感覚のピークとノーマルな(物語的な)感覚のピークを同期させる。また、そのために今まで描いてきたキャラを整理し、レギュラーとしてどう使うか検討する。


サキュバスとペット

感覚リソース:TFなどのシチュに対する(特殊な)性的興奮、性器の感覚、(共感覚を通して)他者に弄ばれる感覚

受容:サキュバスによるTF・搾精などを受け入れる・快感を肯定する

→配信形式で色々なシチュを再現する。現状で方向転換不要

制御:ペットがサキュバスの感情や行動に干渉する。取引を持ちかけ、外部に出る?

→冒険もの? サキュバスに魔法の使用権を握られてる代わりになんでもできる主人公? だんだん主従や強制ではない心の交流をしだす

克服:主従関係からの脱却で対等な関係になる? どんな姿でもそれはそれでサキュバスが好きみたいなノリ


冒険者(アレックスとベサニー)

感覚リソース:ゲーム由来の共感覚、選択次第で全然別の身体になってしまう感覚、パラメータやステータスに自分が左右される感覚

受容:トラップやTF攻撃を普通に受ける・受けてどういう状態なのかを把握する

→思いついたTFトラップなどを受ける役

制御:TF攻撃を受けてもそこで行き止まりにならない・ゲームの理解や把握をする

克服:トラップから脱してダンジョンをクリアする

→特に普通のダンジョンもので問題はない気がする。アレックスは無作為にトラップに引っかかるアホでいいが、ベサニー(日本に馴染みのない響きなのでぼちぼち改名したい)の立ち位置をどうするか。無敵や万能では困るが、なにもできないと打開にならない。トラップを無碍にするのも趣旨に反する。

・予知夢やタイムリープでなかったことにする

・アレックスのアホさをとにかく先読みする

・細かいことは考えずに、アレックスの状態に合わせて都度ジョブなども違う

・アイテムがほしいので、できるだけ粘る

…などなどか。


ドッグマン・怪人

感覚リソース:スーツの感覚、日常の感覚、「制御できない能力」という感覚、上下関係や戦闘の感覚

受容:TF攻撃を受けてもヒーロー活動は続ける(いつもの)

制御:自分の弱みと強みを把握し、やられっぱなしでなくなる

→ドッグマン単体では難しい。後輩やサポートキャラをつくる?

→怪人の被害に合って精神的に傷ついた強ヒーローを立ち直らせる・それで懐かれるか

→不死の秘密があると思われて保護される・観察対象になるとか(もちろん実際はそうでない)

克服:ドッグマンが普通にいることで怪人の被害が減る・怪人が人間に戻るなど


元女子高生虎おじ

感覚リソース:虎おじの感覚・性別のメモリとTFが連動してる感覚・自己が分裂してる感覚・人間関係の感覚

受容:虎おじの状態でもなんとかする

制御:虎おじでならできること・女子高生でならできることを把握する

克服:体質に振り回されることを良しとせずに自分を律する

→一番普通の話作りに向いてるが、他の不思議要素をどのくらい入れるか

→主題は連動と分裂なので、それを逸脱しなければ増やしてもいい気はする

→アプリやSNSの設定も使いやすい


ペイントオオカミなどデブ系

基本的に胃腸の感覚と連動してるので食関連が望ましいがどうするか。

・敵を作る? 悪い食べ物の精霊とか

・料理&食材探索目的? 食べて新しいペイントを覚える的な

・戦闘のために食べて太るファットガム形式?

・ペイント要素をどう食に紐づけるか


・汎用的な動物変身ものなら絵本・民話・神話的な空気が必要

(現代的なエピソードを元にした話にするなら犬・猫・狐狸が限界。産業家畜はほぼ『見たくないもの』寄り)

・ゲーム/アプリなどのなかに取り込まれる設定は手っ取り早いが、ゲームルールをそのたび用意する必要がある

・またはクトゥルフのように「侵食してくる存在」をメインにする

・なんの動物にしていいか迷うときは、まとめてドラゴンに押し付けるのも手

・または、リンダキューブなどのように完全に独自かつわかるオリジナル動物を作ってそれにする(ペイントオオカミや虎おじもどちらかといえばそれ寄り)

・とりあえず描きたいとなって頭に浮かんだTFシーンは誤魔化さないのが大事。「よくわからないが本気」と「なんかごまかしてる」だけはどんな読解力が低い人間にも絶対伝わる


雑記の追記(4/14)

物語が発生する条件として、概ね以下の3つがあると認識している。


①環境を共有している

②違う環境と重複する領域が発生する

③発生したものが単一の系(に見えるもの)に吸収されない


 ①は当たり前過ぎることだが、物理的に近い場所や、似たような構造や原理の働くところにそれぞれがいるということだ。全く互いに干渉し合わない異次元同士では、物語は発生しない。(もし発生してるように見えるなら、それは似たように見えるルール――たとえば心の動き――を書き手や読み手が見出して、わかるように抽出しているからだ)

 ②は要するに、共有している環境の解像度を上げて焦点を合わせるということに近しい。たとえば日本人なら日本生まれの日本国在住という環境はだいたい満たしているが、それだけでは物語は発生しない。だが、20代の日本人と40代の日本人はそれぞれ取り巻く環境が異なるので、もしこの二人が出会った場合、新しく共有されている環境が発生することになる。もっと細分化するなら、ほとんどの人間はだいたい育った家の環境をまとって生きているので、それ同士がぶつかり合うだけで「これまで同じに見えていたが実は違った環境」と「それぞれが重なり合ってる環境」が生まれることになる。まあ要するに家族ものとか学校ものはそういう便利さのためにある。

 ③は、たとえば、こういうことだ。ある子供が万引きをする。捕まる。家庭裁判所にて、指導でも保護観察でも少年院でもいいが、なんらかの処分が下される。これは司法のシステムという単一の系の中で処理される出来事だ。もしこれだけしか描かなければ、物語は発生しない。

 では、子供の視点ではどうか。ただ「運が悪かった」と思っただけなら、物語は発生しない。これもまた、「運」という単一(少なくとも子供にとって)の系のシステムに吸収される問題だからだ。

 家族や周囲の反応はどうか。「人間には一定の割合で犯罪者が発生するものだ」と思い、それ以上の反応をしなかったなら、やはり物語は発生しない。それは統計データという(これもやはり見かけ上は)単一の系で説明される問題だからだ。

 物語を発生させるなら、逆に単一の系に吸収されない反応や要素をつくると良い。たとえば家族が子供に対して「家族の中でお前だけが特別に悪い」という反応を示したとする。「なにか悪いものがあり、それが人間をして犯罪せしめた」という考えは司法にも統計にも運にも吸収されない。司法には裁けないものが存在することになるし、統計ではそれ自体を無視する要素があることになるし、運ではないと子供以外の皆が指摘していることになるからだ。そしてそれは家のなかにも2種類の「家」を発生させる。家族を取り巻く「家」と、子供を取り巻く「家」だ。これらは重複しているが、ルールが違うので絶えず衝突し、吸収されてなくならない何かを生み続ける。

 かくして物語は発生する。最も、それが良質であるとは限らない。カタルシス――それぞれの系を包括する、更に大きな系に吸収されること――がなければ、ただ各々の言動に不信やトラウマが形作られ、それもまた単一の系として人間の中に残り続けるだけで終わる。

 で、まあ、こんなことはなんかそこらへんの本にもだいたい書いてあるだろうし、これは主題ではない。じゃあTFと絡めるときにどうするかというのが本題だ。

 先述したように、犬や猫のペットは概ね自動でこの条件を満たす。同じ空間内にいるが、人間とペットでそれぞれの環境は違うからだ。ペットは単体で自分に起こったことを完結させられないし、人間もペットの挙動を「まあ、動物はこういうことするよな」で片付けない(ペットだから)。そして最終的にそれらは両方を説明するより大きな系――心のありようだとか、好意だとか、「不思議な生き物と同居することそのもの」みたいなメタ視点だとか――に包括される。その過程で「ペットに近くなった飼い主」や「飼い主に近くなったペット」を描くことは難しくない。

 もはや何に使ってもいいような存在のドラゴンや、なんとなく向こうから人間に寄ってきてくれる、というニュアンスの強い狐・狸も同様だ。彼らは「化ける」という特徴と系があるので、なおのことTFに絡めやすい。

 一方で、より生々しく、近しいはずの野犬や野良猫、そして家畜は現在はかなり物語にしにくい。彼らは倫理や環境保護や公衆衛生といった、より大きくて強制力の強い系にすでに取り込まれているからだ。

 野生動物についても同様だ。現代日本において実際になにか起こったとき、すぐに責任の追求と自治体or猟友会or警察の対処が求められる。それはもう、そういうシステムになっている。そもそも、現代の動物倫理に照らし合わせれば、独立して生きている動物に対して人間目線で語ること自体が、倫理の面でも学術の面でもどちらかといえばアウト寄りになる。

 かくしてなんかこう…TFは暗黙の了解として「動物の世界」なるものがある民話かファンタジーっぽい文脈に沿ったほうが物語を描きやすい、という話なのだけれど、それもそれでなんというか、時代背景と動物観が現代とはかなりズレてるので難しいなあ…という話。オチも解決策もない。でもせっかくだからいろんな動物とか生き物のTF描きたいし。


 あと根本的な問題として、TFはカタルシスに行っちゃうのがものすごく速い。

 いまどき動物に変身するキャラが出てきたら「ああなんか物理方面の攻撃拡張か」「野生とか制御しきれない自分と向き合うやつね」「あー差別問題とかアイデンティティ確立の話」「で、実はかわいい一面とか共有できる感覚を発見してなんかいい感じにおさまる」ぐらいのことは大体の人がぱっと察する。だから今どきそこをモタつくとまず品質が低くなってしまうんだけど、そこに至っちゃったらマジでやることがない。さっきも言ったとおり、現代にはペット以外に動物の世界がないからだ。

 動物の世界と人間の世界を包括する系が(めちゃくちゃでかい科学とか自然そのものとか以外は。仮にそれを採用したら、TFを説明するのがややこしくなるんだけど)ないので、結局人間社会のストレスとか、ライフハックとか、生きる技術の向上とか、そっちに還元するしかできなくなってしまう。たびたびボヤいてる『キャラ変身系のゲームは共通する操作感を見つけてしまったら面白くなくなる』のもこれと同じだ。

 あとはだから…実際に変身するフェイズは置いておいて、さらなる能力の拡張だとか、完全に不可逆な変質だとか、変身せずに能力を部分的に使うとか、そういうことをするしかなくなる。やることがなくなった後にしつこく変身フェイズを映しても「もう見た」ってなるだけだからだ。私もPS2獣王記の変身ムービーは途中からめんどかった。

 で、まあ、じゃあ逆に「一切カタルシスに行かない」というカタルシスを採用することもできる。(具体的にどう定義されてるのかは知らないが、私の認識では)不条理ものと呼ばれるやつだ。変身しても意味を持たない。なにか共通のルールを見出だせたりしない。救いや克服、成長があったりしない。そっちに振り切るとそれはそれでまあ意味はあるし、というかこれまで描いてたようなTFしてそのまま物語的なオチも意味もないみたいなやつはだいぶ不条理劇に近いだろう。

 まあ繰り返しだがオチも解決策もない。単なる吐き出しだ。


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