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雪降らないかな
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雑記

 人類家畜化説というものがある。

 ざっくりかいつまむと、人類――ホモ・サピエンスの種としての特徴は、種々の家畜化された動物の性質とよく似通っているため、人類は自分たちで自分たちを家畜化していったのではないか、という説だ。

 家畜の特徴は色々ある――形態の幼さとか、従順さとか、筋肉の量とか、脳の容量とか――が、この説で要となる"家畜さ"というのは、"反応攻撃性の薄さ"である。

 反応攻撃性とは、要するに刺激に対して即攻撃で返す性質のことだ。触られたらその文脈に関わらずすぐに引っ掻いたり蹴っ飛ばしたりする性質であり、家畜化とは、その性質が薄いやつを選択して繁殖させることであるとされる。その結果として、顔が幼かったり、耳が垂れたり、毛色がまだらになったりする形質が連動して表れる…とされる。

 人類家畜化説がどの程度妥当性があるのかは私は知らないし、特にここで論ずるつもりもない。ここで覚えて欲しいのは"反応攻撃性"だ。では、次の話題に移る。


 野性という言葉がある。

 言うまでもないが、現代で「このキャラは野性的ね」と言ったとき、大半の場合は「このキャラは触られたらすぐに反撃してきそうね」を意味しない。(現代でというのは、「野性」と「理性」という言葉が発明された当時はそういうニュアンスのほうが多かったからだ。)

 では、創作物のキャラクターに対して「野性的である」と言ったとき、それは具体的に何を意味するのか? 以下のように分類できるだろう。


①動物っぽさ

…もう少し言うと、「明らかに人間ではないが、思考や意識はありそうな生き物」っぽさだろう。(なんの前置きもなしに)ナメクジやミミズを野性的と言う人はいない。

②父性っぽさ

…要するに、「成熟した雄っぽさ」だ。骨格・筋肉・体毛の発達。経験量。決断力。鷹揚さ。

③不可知っぽさ

…「自分たちの計り知れない、未知なる論理で動いてるんだろう」という雰囲気だ。非言語的な挙動やジャンルとしての「異民族」も含まれる。

④恒常性っぽさ

…特に動物キャラによくある「動物としての生理や習性がいついかなるときでも発揮される」というキャラクター性だ。猫ならじゃれる。鳥なら囀ったりダンスをする。ヘビなら脱皮する。ゴリラならドラミングをする。

⑤アウトローっぽさ

…社会になじめない傾向全般。少数派っぽい挙動そのものを指すこともある。


 さて、こうして分類してみると、現代で「野性」に求められるものの大半は実は「思慮深さ」だ。

 ①動物だが、意識や人格はあることを求める。

 ②成熟した雄だが、群れの役割を果たすことを求める。

 ③自分たちにはわからないが、何かしらの理路やルールがあることを求める。

 ④や⑤も、物語として要請されるのは――やはり性質そのものではなく、思慮のほうだ。たとえばいわゆる人外やケモの世界にヘビがいたとする。ヘビは脱皮をする…が、仮にそのヘビが脱皮した皮を道端に放置して、何も顧みることなくどこかへ行ったら、あるいは脱皮をたしなめられて攻撃し返したら、それは「野性的なキャラ」という意味合いになるだろうか?

 ならない。それは「ポイ捨て」や「身だしなみができない」の暗喩となり、「他人の負担に甘えている」――野性的とは反対のキャラ付けになってしまう。ヘビは脱皮をし、それを自分か近しい人間の手で処理したあと、「ヘビだから脱皮するんです」と自己理解をし、他人にアピールして――そこまでしてようやく「ああ、このキャラは野性の一面を持っているんだ」となる。

 これはほとんど家畜化だなと思う。本来の環境から切り離したところで、創作に有利な性質だけ残すようにして、あとは本人から反応攻撃性を奪い、思考の時間を与える。情報の量が増えるとあらゆるキャラクターは家畜化されてゆき、人間にだけかろうじて「家畜だと思ったけどそうじゃなかった」というストーリーが許される。


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