最近どうもなにかのTF漫画を描き上げたあとの回復が遅い。
単純に疲労している以上に、身体をうまく動かすためのマップが著しく断片化していて、それのデフラグにやたら時間がかかってしまう。
もう若くないとか、わざと共感覚が嫌がるような題材を選んでるとか、そもそも毎月漫画を十数ページ描くこと自体が健康に良くないとかいろいろ思いつくが、そういう前提そのものが覆る仮説は置いておいて、ひとまず別の可能性を考えてみよう。
その可能性とは、「以前は絵の中に身体マップの復元フラグを埋め込んでいたが、最近そのプロセスを飛ばしているのではないか」という可能性だ。
話は一度食べ物に飛ぶ。
ミラータッチ共感覚は見たものから身体マップを取得し自分の身体のように感じる共感覚で、その対象が生物っぽいほど共感覚の感度は強まるが、食品の場合は例外的に共感覚のブロックがかかっている。
わかりやすい例は魚だ。通常の魚はそこそこ相同器官(生物の種類が違っても、根本的構造が同じである体の部位。目や口などのほとんど類似の器官、あるいは手と鰭など形が違っても位置や機能が似ているもの)がわかりやすいため、中レベルくらいの共感覚の対象となる。
今ここでイワシを捌いているとしよう。イワシは腹が柔らかいので、手で開くことができる。イワシを両手で持って見る。この時点では共感覚は働いている。イワシの腹に指を当てる。まだ共感覚は働いている。指をぐっと腹に押し込める。ちょうどこのタイミングで共感覚のブロックが発生し、「イワシの身体である自分」を感じることができなくなる。内側から指でイワシを開く。
まあ、このブロックがあること自体は妥当だ。人間――というか食事をする動物は、「食べ物は食べ物以外の何物でもない」というスイッチがどこかしらで入るようになってるのだろう。それの権限が共感覚より高いのは想像に難くない。
要するに、この過程において、「強制的に元の身体に戻されている」という処理が発生しているわけだ。
今回描いた食品化はそのブロックを無理やり突破し、復元フラグを設定しそこねたのではないかと思う。そのため身体マップが「バラバラにされた食べ物」から自動で復元されず、デフラグにかなりの時間がかかった。だが、それ以外においてもおそらく、最近の私の漫画のスタイルはその復元フラグの設置と相性が悪かったのではないかと思う。
では、TF絵(漫画)における復元フラグとは、具体的に何を指しているのか。
まずはこの絵を例に取ろう。
よくある構図だ。
身体の片側だけを変化させることで、変化前→変化後に視線誘導をすると同時に大きさや形の比較を行えるので、フェチ作品に限らずとも変身シーンに多用される。
文脈、集中線や膨らみを表す効果線、「ボンッ」という炸裂音などから、普通に見れば少なくともこの絵を「右手が急激に膨らんだ様子」以外として捉えることはないだろう。
だが、共感覚にとってはおそらくそうではない――ような気がする。
共感覚が取得した身体マップのみで判断した場合、この絵は「牛と人が混ざった感じのやつが、こわばった感じで腕を広げていて、左手は大きく、右手は小さい様子で、顔はそれに驚いているかおののいている」だ。つまり、「人が牛に変わりつつある絵」とも取れるが、「牛が人に変わりつつある絵」と取ってもいい――そんな風に共感覚は考えている。効果音や身体でない線はただ「どちらかに偏らせるための補助具」であり、共感覚が反応すべき身体ではないからだろう。
つまり、これが復元フラグだ。
文脈上は一方向に見えるが、共感覚にとっては双方向――人(肉体の身体マップ)に近づいているようにも見えるという、「逆方向への足がかり」が速やかな復元には必要なのではないかと推測している。
他にも、この絵を見てみよう。
狸化界隈ではよくあるシチュエーションだ。
これは一見共感覚で人側に戻る足がかりがないように見えるが、「言葉」や「名前」はどちらかと言えば共感覚側に属するらしく、「元に戻ろうとする台詞」や「まだ残っている元の名前」などは共感覚側の復元フラグになる。
それでまあ、最近のスタイルでなぜこういった「復元フラグ」を設置しそこねがちなのかと言うと。
まず共感覚が整理されたことで「普通のTF」を描く動機が減ってきて、重ねがけ的なシチュエーションに偏ってきたこと。
漫画的な面白さ――状況や感情の加速や、元に戻らない方向へのカタルシスを狙おうとしたこと。
単純にページ数が増えると全てのコマに復元フラグを設置できなくなる・プロセスが複雑化して復元自体がうまくいかなくなること。
とりあえずここらへんだろうか。
要するに共感覚が「絵」とか「漫画」だと思ってるのは、「変身してる瞬間」とか「変身する文脈」ではなく「時間の隙間」みたいなものなんじゃないかと思う。
どちらの時間にも行けるけどそのどちらでもない、どっちに足を置こうか考えている…余裕のある日のうたた寝、食べ放題で実際に食べ物を見る直前、忙しくない旅程の宿で雨だった日の寝起き、音楽でほとんどの楽器が鳴り止んだ瞬間、降り積もる雪、人の家から漂う確実にあれだとは言えないぐらいの晩飯の匂い…そんなようなもの。
最近は「毎月描かないと」って意識しすぎてそこらへんの感覚も拾い損ねてたんだろうなあ。反省している。