雑記(共感覚のメソッド演技)
Added 2024-01-10 18:26:00 +0000 UTC演劇においてメソッド演技という技法がある。
門外漢なのでざっくりした説明しかできないし、間違ってたら申し訳ないが、要するに「悲しい演技をするときには実際に自分が悲しいと思ったときのデータを引き出そう」という手法だ。
たとえば、自分が演じるべき人物が最愛の恋人に見捨てられたとする。
日常生活においてそれとそっくり同じドラマチックな経験をした人は少ないだろう。
だが、「一番好きだと思ってくれる、自分のことを理解してくれてるはずの人物に突き放される」ぐらいならどうだろうか? 割とありそうな気がする。生きていれば親や兄弟がたまたま機嫌が悪かったときぐらいあるだろうし、一番近い人間だと思ってた友達と決定的に考えが違った、と突きつけられることもあるだろう。それらは恋人ではないが、そのときの絶望感や焦燥感、アイデンティティの損傷は「恋人に見捨てられたとき」にも同様に生じているはずだ。ゆえに、その演技のときにそれらの感情を呼び出して再体験することができれば、よりリアリティのある演技をすることができる。…というのが私の理解したところによるメソッド演技の概念だ。
共感覚もおそらく、めちゃくちゃ限定された範囲でそれをしてるんだろうなあ、と最近考えている。
ちょっと前にXでのエッセイでも描いたが、共感覚で動物っぽいやつの身体感覚を取得すると鼻先が伸びたり、鼻が大きく広がったりする感覚がある。が、それらの「鼻回りの身体感覚の変化」は、共感覚以外でも実際ちょくちょく作動しているという実感がある。食事のとき、興奮してるとき、嗅覚を刺激されているとき…などなどでだ。それらは共感覚とはダイレクトな関係にはないが、しかし「鼻回りの変化」という属性では紐付けられている。
だから私はTFにストーリー性を持たせようとするとき、それらの要素(たとえばなんらかの匂いに刺激されて鼻先が伸びるなど)を使うようになるし、ある程度他人への伝達性が高い。
その共感覚以外での身体感覚の変化に応じて「描きやすい動物」みたいなのも定まってるんだろうし、私の場合それが牛なんだろうなという気もする。
ここまでは問題はない。
問題は、そのシステムを使いすぎると「他人には参照できない形のストーリーを生成してしまう」ということにある。
これはもう、言葉で「ある」と言うほかないのだけれど…「ある身体感覚の変化A」と「ある身体感覚の変化B」と「共感覚以外の要因で起こるA→Bの遷移」がある場合……一般化しようとするとやっぱややこしいな。
「マズルが伸びる変化」(A)があるとする。そして、「伸びたあとにマズルがやや引っ込む変化」(B)があるとする。
これらはたとえば私の中だと、「好奇心をもって嗅ごうとした匂いが警戒臭だったとき」(C)に起こる。まあ、これは難しい部分はないだろう。鼻を近づけようとしたらツンとして慌てて引っ込める動作だ。その旨を添えて描けば、別に通じないこともないと思う。(A)→(B)→(Cという意味だと説明する)、という図式だ。
しかし私は、しばしば(C)を飛ばしてしまう。私の中では(A)+(B)=(C)になっているので、(A)と(B)を描けば(C)は言わなくても通じるでしょ?となってしまうのだ。要するに自分しか知らないボディランゲージで話を進めようとするようなもので、これが本当に良くない。
直近で描いた魔法のカウベルネームはそれを全く自覚できてなかったときの癖がよく出てるなと思った。