【知らない人のために】
CTFとは、いわゆる変身、状態変化もののジャンルのうちの一つ。大体の場合、ヒトやケモがいわゆるイチモツそのものに変身するタイプの作品のことを指す。Cock TF。
別にエロい話はしないが、いやそういうシモいワードの出る話自体見る気ないから、という旦那様、奥様方は素直に引き返してくだせえ。
【本題】
たまーにCTFを描きたくなる、という周期がある。
正直イチモツ自体は描くのめんどくさいし絵も実物も大して興味がないのだが、それはそれとして「CTFを描きたいなあ」と思うバイオリズムがある。今回、なんとなくそれについてこうかなあと思う理由があったのでとりあえず言語化しておく。
①身体マップの重複
おそらくではあるが、鼻先から上唇にかけての部分とイチモツの先っぽは、少なくとも私の中で身体マップの同じ部分が使われている。
飽きずに共感覚の話をして申し訳ないのだが、つまりこういう図を見たときに
鼻先に共感覚による刺激を感じるが、このあたりの部位に限り、イチモツの先っぽにも同じ刺激が送られているのだ。
要するに私の脳はある状況――マズル生えかけの人間の顔を見たときとか――において、鼻先とイチモツの先っぽの区別がついていないということになる。そりゃまあそういうログが溜まってったら描きたくはなるよね。
②独り占め欲
これもまた私のなかでは、という話だが、上図のように「優しく鼻先を手で撫でられる」という刺激は、私の脳の中で「そこそこ高価な資産」みたいな扱いになる。まあ鼻先を誰かが優しく撫でてくれるというシチュエーションでは、その手の持ち主は親であることがほとんどだろうし、親の庇護という高価なものを自分が獲得している、という換算になるんだろう。
で、ややこしいことに。
①をイチモツ側の視点で考えるとどうなるかというと。
私のイチモツは、たまに自分を鼻先だと思いこんでいる。ということになる。
つまり、「手で撫でてもらえる」という貴重なものを横取りするやつが同じ身体の中にいると、そうも思い込んでしまうというわけだ。
そのログが一定量溜まり、なんとなく自我っぽくなるまで濃くなると、私のイチモツ(あるいは鼻先か?)は「独り占めしたい」という欲望を発露させ、そしてその実行手段は――私の中でブレている「鼻先」と「イチモツ」を絵を描くことによって同じ領域に重ねること――つまり、顔でありイチモツであるものを描く、というわけだ。
③こじれる
それが他人の依頼であるときや、合意がうまくいったとき、素直にCTFを描いて終わりになる。同じ位置にある鼻先とイチモツの先っぽを、庇護者である本体の手が撫でたり構ったりして、分け合って揉めたりせず嬉しい、というわけだ。
そうでないとき、今回の作品も割とそうだが、作中でせめぎ合いが生じて反発しようとする。
要するに離反、あるいは武力行使を選ぶわけだ。嫌いなやつに分け前を与えるぐらいなら一人で少ない量を得るほうが得、という社会性のある動物が算出しがちなやつをわざわざ絵の中で再生産する。つまり、イチモツはイチモツが独り立ちするストーリーをしばしば選びがちになる。
しかしまあ、哀しいことに、哀しくもないが、イチモツの身体マップには操縦ドライバとでも言うのか、全身を駆動して動かすためのプログラムのようなものを起動させる権限がない。要するに、イチモツは離反して独り立ちをするストーリーは夢見るが、その後自分ひとりで歩く…というようなストーリーを描くことができない。
よって今回みたく永遠にうまく動けない終わりになったり、紆余曲折を経て結局吸収されたり、完全に動けなくなってただのモノになる展開しか選べなくなる。そしてイチモツ自我の活動用メモリは使い果たされ、再び次のログがたまるまで沈黙する。
この話に特にオチはないが、これまたたまに描きたくなる「不完全ないきものが感じることだけできて結局消える」みたいなのも、こういう自分の消滅しか描けない自我の残滓から生えてるのかなあ、という気もする。